古松盦 Footprints In The Snow

文学への誘い【にいがた文芸風土記】雪の足跡

北越・越後の風土と、そこに生きる人々を主題にした名作の一片を紹介し、これらの作品にて北越への旅の憧憬を拝すれば幸甚に存じます。





よろしくお願いいます。




森 敦  「かての花」 『 鳥海山 』より  弥彦村


 弥彦山は広い蒲原平野を、日本海からまもる自然の牆壁をなすびょう然たる山々の一つである。すなわち、新潟市から西南に延びる砂丘が隆起していつしか長者山になり、角田山になり、弥彦山になる。これが連亙して、蛇ガ峰、猿ガ岳となり、良寛で知られる国上山に至っているが、角田山よりもやや低く、蛇ガ峰、猿ガ岳よりも僅かに高いにすぎない。にもかかわらず、ひとり弥彦山はいわゆる前山をひかえ、ながい稜線を持つアスピーテ型の山容をみせ、小ながらも月山を彷彿させ、山々を渡り来たった神々の、好んで屯するところとなるであろうことを感じさせる。ここに越後一ノ宮弥彦神社があり、古歌にも、    伊夜比古は神にしませば星雲の たなびくときも小雨そぼふる

とあるから、弥彦はかつては伊夜比古と呼ばれていたかもしれない。しかし、玉砂利の清々しい厳かな社はたんに拝殿にすぎず、神体は弥彦山そのものであるという。 わたしは弥彦山が伊夜比古と呼よばれるとき、それがすでに神として、仰いでわたしたちの見得る山そのものの姿を越えた、なのものかを意味するような思いがするのである。

 山頂からの眺望がまたすばらしい。杉の巨木にかこまれた神社裏のロープウェイで沢を登ると、芝草の刈り込まれたゆるやかな山の背に、近代的な展望台が建っている。すでに小公園の観を呈しているばかりか、海陸にわたる全円の風光をほしいままにすることができる。わたしのためにしばしの住まいを見つけてくれた若い友人とともに、初めてここを訪れたのは秋ではあったが、なにかもう吹き荒れる冬の季節風の気配があった。信越の山々はすでに見えず、三条市を貫いた五十嵐川を入れながら、こなたに燕市、吉田町を配した信濃川の蛇行する蒲原平野には、雲間を漏れる光が走り、眼下の日本海には海を濁らせて寄せ来る一面の荒波が、はるかに潮騒をとどろかせている。佐渡は人家の白壁が見えるほど間近に浮かんで、いまにも打ち寄せられて来そうだが、ハッとして目を凝らすと荒波が停止して、かえって潮けむる沖へと動いてでも行くようだ。

 街はこの弥彦山と前山のあわいにあって、公園があり、神社があり、神社の境内には競輪場があり、格好のレジャー・タウンをなしている。ことに、競輪場は桜と紅葉におおわれ、グランドには花壇がつくられていて、絵のようにうつくしい。わたしにはそこで熱狂し、希望し、絶望する群衆もおもしろければ、群衆の前におどり出て、拳を振り上げながらいかに予想が的中したかを絶叫してまわる予想屋のダミ声もおjかしかった。いや、競技が終わると、色とりどりのシャツで満場をわかした選手たちが、ほとんどドサ回りのサーカスの団員なみにも扱われていないのにも興味があった。ひと口に競輪競馬というが、少なくとも競馬の選手たちは、その君臨した馬を乗り捨てれば、あとは馬丁にゆだねるであろう。だが、彼らは自ら馬丁になって、彼らの馬であるところの自転車を畳んでケースに入れ、またどこかの競輪場へと旅立って行くために、とぼとぼと歩かなければならぬ。彼らは騎手である同時に馬丁あるということ、彼らが彼らみずからにおいてすべててあることが、彼らを誇らすどころか卑下すらさせているらしい様子が、みょうにわたしの共感を呼んだ。

 わたしの見つけてもらった住まいは、弥彦山の麓というにはやや高い杉林の中にあった。街は楽しげで壺中の天とでもいいたいが、壺から仰ぎ見た口のように、山あいでただでさえ空が狭いのである。それが一歩街を離れて杉林にはいると、僅かに山肌が見えるばかりで、ほとんど空を仰ぐことができない。あたりは古い墓場になっていて、みな弥彦神社の氏子らしく、おい茂った下草の間に、ほとんどただのグリ石に命(みこと)だ姫(ひめ)だと刻み込まれた粗末な石が、無数にころがっている。たまたま磨かれた立派な暮石があると、かえってそぐわないほどで、杉林を見まわりに来るその持主たちの足音も深い寂けさを感じさせ、やがてわれらも行かねばならぬところに来てしまったような気がするのであった。が、夜がふけると、どこからともなくごうごうと凄まじい音がするのである。ひょっとすると、日本海のあの潮騒が、山越えに聞こえるのではあるまいか。いまもひとり、深夜の荒浪に耐えているであろう佐渡を思い浮かべずにはいられなかった。

 しかし、夜明けが近づくにつれて、凄まじいその音は遠のくように低くなり、あたりままたもとの寂けさに戻る。終夜叫びに叫んだ樹々なにごとにもなげにみえるが、毎朝のように杉の折れ枝、枯れ枝を山と背負って、奥から降りて来る老婆があった。してみると、あのごうごうの音は潮騒ではなく、夜がふけると山をおろして来るのか、ひょうびょうと蒲原平野を渡って吹きあげて来るのかわからぬが、そうした風が樹々を揺るがして沢を鳴らすのである。

 「やっぱり、風で相当やられるんですね」

ある朝、わたしがそう声をかけると、老婆はうさん臭げながらも、みょうな笑顔をみせて立ち止まり、

 「ンだの、弥彦ははじめてだか」 「ええ、しかし、こんな沢鳴りがするとは、考えてもいませんでしたよ」 「なんたて、弥彦は八沢というて、それぞれ名のある中でも、この沢は鳴沢というほどだすけ」「なるほどね。なんだか潮騒のようにも聞こえるので、あの荒い日本海から山越しに、して来るような気もしてたんですよ」

 「山越えもするんでねえか。これでお山があるすけ、なんとかいられるんども、このあたりは大石原というほどでの」 下草の中に無数のグり石のあるのは事実だが、見るところ他に石があるわけでもない。すでに老婆も言うように、大石原とはもう人の住むところではない、との意味かもしれぬと頷けぬでもなかったが、 「大石原?グリ石の墓のほか、そんな石ないじゃありませんか」「そだの。もとは一面、ただ石ばかりだったんども、長太郎どんが来て、拾うてしもうたんだすけ」 「長太郎どんが・・・・・」 わたしはそんなただ一面の石をひとりで拾ってしまったという長太郎どんとは、伝説の人物でもあったのではないかと思わずにはいられなかった。 「そだそだ。どこの人かしんねいども、稼ぐひとでの。荷車に積んでは、吉田まで曳いて行ったもんだて 「吉田まで?」

 吉田町は山頂からすると、指呼の間にあるように見える。しかし、それは平野の町を上から眺めるからで駅から、ディーぜルカーに乗ってもかなりのもんで、とても歩ける距離ではない。

 「もとは、弥彦の衆は風が出たいうては、みなお山さ来ての。折れ枝、枯れ枝を拾うて、吉田さ背負って出て、塩だ、砂糖だと買うて来たもんだ」

 「・・・・・・・・」

 「それに、このあたりの杉林は、みな伊夜比古さまじきじきのものでのう、折れ枝、枯れ枝は、伊夜比古さまが風をつかわして、下された天の賜だいうて、だれもが喜んで拾わせてもろうたもんだて」と言うと、老婆がちょっと笑顔をなくした。杉林の奥でれいの見まわりの足音がしたからかという気もしたが、わたしの思いすごしだったかもしれぬ。「いまはこのあたりの杉林も、旦那衆に分けられてしもうたすけ、こげな折れ枝、枯れ枝を拾うても、なんのかんのと言うんども、折れ枝、枯れ枝はだれのものでもない。木を離れて落ちてしまえば、おんなじ天の賜でねえか」

 「・・・・・・」

 「長太郎どんだとて、ひとの墓石まで拾うたというわけじゃねえ。燃やして火にする枝がえば、生きられるもんでねえし、死ねばだれでもが石になるもんだすけ、石がねえば死ぬこともできねえんでねえか」 と、老婆は他所でもこんなグり石を墓石にすると思ってい、伊夜比古さまがそうしてわたしたちに、生きるための火と死んでならねばならぬ石とを、生みなしてくれると言わんばかりである。「それでいま、どこにいるんですか、その長太郎どんは」 「どこさいるもんだかのう。どこぞでまた、石をとっても文句のねえとこさ行ったんであんめえか」

 そして、老婆は杖を立て直し、背負った折れ枝、枯れ枝をずり上げて、「ああッ」と顎をしゃくって歩きはじめた。荷を背負う人は頭を下げるかわりに、みなこうして顎をしゃくって、ノド声を出すのである。

 わたしは更に奥へ入って、鳴沢を見ておきたいと思った。   ・・・・・・・・






川端康成 「雪国」 1935~1947 抜粋  南魚沼郡湯沢町

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車はとまった。向側の座席から娘がたつて来て、島村の前のガラス窓を落とした。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶやうに、「駅長さあん、駅長さあん。」明かりをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れてゐた。もうそんな寒さかと島村は外を眺BR>
めると、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と雪の色はそこまで行かないうちに闇にふくまれてゐた。・・・

 この国では木の葉が落ちて風が冷たくなるころ、寒々と曇り日が続く。雪催ひである。遠近の高い山が白くなる。これを嶽廻りといふ。<BR>
また海のあるところは海が鳴り、山の深いところは山が鳴る。遠雷のやうである。これを胴鳴りといふ。嶽廻りを見、胴鳴りを聞いて、<BR>
雪が遠くないことを知る。昔の本にさう書かれてゐるのを島村は思ひ出した。島村は朝寝の床で紅葉見の客の謡を聞いた日に初雪が降った。もう今年も海や山は鳴つたのだろうか。島村は一人旅の温泉で駒子と會ひつづけるうちに聴覚が妙に鋭くなつて来てゐるのか、海や山の鳴る音を思つてみるだけで、その遠鳴が耳の底を通るやうだつた。・・・